300年以上続く伝統行事百八灯300年以上続く伝統行事百八灯魚沼市折立地区に伝わる伝統行事百八灯

令和4年3月6日百八灯開催

雪に埋もれてた鳥居を掘り出したところ

雪に埋もれてた鳥居

尾根への登口にある鳥居を掘り出す作業から始まる。

祈願際を行う

準備に先立って祈願祭を行う。

藁を担ぐ昔のスタイル

稲藁を尾根に運ぶときの服装はこのよう服装であった。

稲藁の運搬開始

たくさんの稲藁を尾根伝いに運んでいく。

数十箇所に置く稲藁

遠くからでも十分見るよう藁が準備され、焚かれる。

いにしえからの伝統行事「百八灯」を開催


百八灯会場にて花火の奉納

令和5年3月5日(日)折立地区の伝統行事「百八灯」が開催されました。
当日は、折立温泉組合の飲食サービス(六人つきの餅、甘酒、そば)がありました。

折立地区の「百八灯」行事

「百八灯」行事記録

雪の祠をつくる

積雪が2mを超える豪雪の魚沼市では神様を祭っている祠を掘り出してお参りすることができないため、代わりに雪で祠を作り、ここにお参をりします。.

稲わらを山の稜線へ運ぶ

「百八灯」の当日、その年の祭り担当である”年行司”が数回に分けて稲わらを山の稜線に沿って運び上げます。この作業は大変きつく、以前は若者が担当する作業でした。

百八灯

日中に運び上げていた稲わらに今年の豊作を祈願し、点火します。稜線に沿って点灯される藁の炎は幻想的な風景を写しだします。

「百八灯」雪まつり会場

折立地区の雪まつり会場では数々の演芸が雪の舞台で披露されます。来場者へ無料サービスされる折立名物”6人搗き”で搗かれた餅は、大変好評です。同様に、そば、トン汁、甘酒等もすべて無料で来場者にふるまわれています。イベントの最後には豪華な花火の打ち上げも行なわれます。

「年行司」とは行事を担当するグループで、持ち回りで行事の運営をしています。

「百八灯」が行なわれる雪山をスノーシュー体験


「百八灯」が行なわれる雪山の稜線を歩く

  • 百八灯の山をスノーシューで体験クリックでビデオ表示魚沼市折立地区に長年伝わる「百八灯」が行なわれる山の稜線をスノーシューで歩く。

快晴に恵まれ、景色は最高

  • 山の稜線から眺める祭り会場山の稜線から眺める祭り会場山の稜線から眺める祭り会場距離はさほどではないように見えますが、急な斜面もあり、結構きついコースになっています。幸い、眼下に見える景色がそのつらさを忘れさせてくれます。

歴史は動いた

折立村が歴史の表舞台に
1641年(寛永18)に湯之谷郷折立の百姓・源蔵が赤川表(現・只見川)で銀の鉱石を発見したことから、上田銀山として全国に名前が知られるようになった。


幕府から授かった杯幕府から授かった杯銀の発見により源蔵は幕府より杯を授かる
銀を発見した源蔵は幕府より杯を授かり、その杯が現在、源蔵の子孫である星家に保存されている。


昔の折立の地図富永家に伝わる地図から
古い地図が富永惣左衛門宅に残っている。これにより、当時何件の民家がどこにあったか知ることができる。


百八灯

毎年三月初午の前夜に行われる、越後の奇祭「百八灯」は折立温泉で江戸時代初期、寛永年間の初めから続くと言う伝統ある行事で、農家にとっては大切な作神様の『稲荷大明神』に豊年満作を祈願する祭です。現在は3月の第一日曜日に行われています。

山のふもとにある稲荷様の社から山頂に向けて稲藁を配置し、夜を待って点火します。白雪に覆われた山々が燃え上がる藁火の灯りに浮かび上がり、幻想的な雰囲気の中で百八灯のハヤシを合唱します。

「百八灯、 百八灯、 百の米が一斗五升、十文酒が十六ぱい十六ぱい」

百は一銭、十文は一厘にあたり、江戸時代の物価を計り知ることが出来ます。雪に埋もれて数ヶ月。百八灯の祭りが土地の人々に春の訪れを伝えます。

最後に少し舞台裏の話を……。
お祭り当日の午後一時、カンジキをはいて稜線に道をつける作業から始まり、二十人で稲藁を担ぎ上げ、稜線に並べます。一人で三往復する人も居ます。

すべての稲藁を稜線に並べ湿らないようにシートで覆います。
ここまでの作業で約二時間半かかります。午後七時三十分、点火。
炎の勢いで五穀豊穣、無病息災を占うこの行事は、炎を大きくするのがなかなか大変です。
点火後、約十五分ほどで準備した稲藁はなくなります。

百八灯写真集百八灯写真集

魚沼から行く尾瀬

魚沼市観光協会